これまでDALIA店舗にお越し頂いたお客さまのご寄付、
またDALIA Produceの CD“生ものの音”の収益の一部から、
ラオスに送金しましたのでご報告します。
■金額¥64.729
内訳
・DALIAのお客様より¥14.729
・生きものの音収益の一部より¥50.000
寄贈先の学校はラオス中部・カムワン州タケク「Vieloung (ヴィエンロン)中学校」です。
ラオスは窓も壁も無い校舎がほとんどというのが現状ですが、ビエンロン中学校は素朴な平屋の木の校舎で建築されました。
ヴィエンロン中学校は大変山奥にあり仕事は農業だけ。そんんな村に今回の学校は建設されました。
当初の予定では学校の黒板やいす、机を寄付金より寄贈という予定でしたが、既に準備が進んでおり他のものをと話し合いの結果、制服をつくり、そして鉛筆やノートといった文房具も購入また建物の維持費としての資金とさせて頂く事になりました。
皆様のご支援をありがとうございました。
2009/04/9
建設中の学校写真
学校設立に携われているのは、岡山県を拠点に10年間に渡り、
ラオスの子ども達の豊かな育成を夢みて、そして日本とラオス国民の文化交流の掛け橋を繋いでこられたボランティア団体「Love Lao clab」創始者である西山美貴子さん、
そして現地で暮らし、物質支援ではなく自分の力で仕事をし希望を生み出すことが出来るのではと信じて、工房「LIDCO」に100人もの雇用体制で、手仕事から木の器たちを生み出す場を提供、継続的な自立支援へと情熱を注ぐ西山重敏さんを始め、多くの有志会員の方々です。
床は土の所もあるし、良くてセメントだそう。
・ラオスの学校事情について。
※9つの地域 州に分かれているラオス。
タケクには 500程の村がありますが、高校 1校・ 中学3校、(小学校ははっきりしないのですがカムワン県で50校くらいとの事)、村社会で暮らす子供たちが小学校以降、学校に行けるのはほんの一握りにすぎません。独自が育んできた文化や村社会を崩壊させること、世界が物質社会に統一化される事は望まれないことですが未来を担う子供たちにとって、学校に行けるということはただ「喜び」であるのです。
今は最貧国であるラオス。
そして人々の暮らしの習慣には様々な問題があります。
例えば、女性の出産場の環境が悪く危険が伴うこと、子供の労働、食事からくる健康問題、また飲食を回し飲みするため感染症をひいき起こすなど。農業で食べてはいけても難病にかかると手を施す資金がないなど。
これらのような山積みの問題改善には教育による知識と意識の向上が必要となります。
・ビエンロン中学校の授業について。
授業時間は8:00-11:30 13:30-17:00、 授業時間は2時間くらいで合間の休息が20分。
朝は朝礼、体操に始まり 教室は毎日掃除をしています。
日本との授業内容の違いは、家庭科がないということだけで日本の中学校とほぼ同じなんだそうです。
授業内容は理科、地理歴史と語学はラオス語のみで英語などの外国語はなし。
まずは母国語を話しながら皆でコミュニケーションをとるということを大切にしているようです。
また体育はフットボール・卓球・バレーボールだけ。
そして、人間の生命、命の営みという授業もあるそうです。
ラオスでは戦前の日本のように、20歳前後で結婚して家庭をつくり、子宝に恵まれ繁栄していく事が最も幸せであるという想いの中での暮らしがありました。
祖先のつながりを、寄り添い合い家族のつながりを大切にするラオスの人々は、暮らしの中で親から子へと育まれているからこそ学ばずともという事でしょう。
ある日の結婚式にて。新婦の家で厳かな結婚の儀式、親族が新郎・新婦を囲み、取り仕切る人が米をまき、聖水をかけ、豊かな暮らしを願い皆が手を合わせ、腰に手をかけながら祈りの世界でつながるというところ。
また音楽の授業は、楽器が揃わず無いとのことです。
でも教わずとも日常の暮らしの中に民族音楽があり、人々が集まるところでは円になって男性と女性が対になり、笑顔で唄い、踊りを楽しむという光景があるからでしょうか。こんな感じで。
ある日のラオスの踊り
しかしその一方、学校の先生自体が不足という事があり、高校を出た人が代用教員として教えている事が多いそうです。体育でも、専門の先生はいません。
そんな中でも、一つ屋根の下での学びと、そして青空の下でのびのびとからだを動かしながらの学校生活を過ごしています。
学校のそばの池で遊ぶ子供たち。
ある日、ラオスにいる西山重敏さんからこんなメ-ルがきました。
~学校ができるまでのエピソード~
「地方政府の知事さんに挨拶に行きそして教育庁へ行った時,教育庁関係の建物を新築中であったが学校よりその新築中の建物を支援してくれと要望されたけれど,LoveLaoClubは学校建物設備・教育現場で必要なものしか支援できないとういうお話を聞き入れてもらいながらこの学校建設が叶いました。」
・そして学校建設地へ確認のため向かった時の話。
「途中峠の坂道が凄くとても道なんて言えるものではなく、岩山の間の道は岩盤がむき出しでしかも大中・様々な石が岩盤の上に乗っかっている。そこで皆車から降りてしまいどんどん歩いて間道を峠に向かって上がって行く。「こんな所を車が通るのか?」と教育庁の人他、関係者に聞くと「大丈夫4WDのトヨタハイラックスなら上がれると言うだけ。貴方達は年に何回来るのかと聞くと2-3回は来ると胸を張って答える。 しかも当社の運転手はもとよりより一緒に来た運転手も運転するのは嫌だという。歩いて道の状態を確認するが、とてもじゃないが歩くのさえも難しい岩山そのもの。それでも歩き辿りついた建築現場へ、、、」
と途中でメ-ルが途切れてしまい、その先のことは少しづつお話を聞きながらこのご寄付のお話をすすめてきました。ラオスは雨季もありますし、時季を見計らわれながら数回にわたり現場へと行きかわれたそうです。
その後は道が少し整備されたそうで、山道を越えて子供たちは歩いてのんびりと学校にいっているそうです。
手付かずの荒々しい大自然がすぐそばにあり、「人力で暮らしてきたラオスの人々」の心の豊かさは不変であってほしいと願います。
学校近くの村の台所